小さい頃、地元のお祭りにマムシの薬売りのおじさんが来ていたのを見に行ったことがある。マムシから作られた、何にでも効くという薬を売っているのだ。露店の前には生きたまま瓶に入れられたマムシが並べられ、異様な雰囲気を放っている。

今思うと怪しいことこの上ないが、そのおじさんの語り口は軽快で妙に惹き付けられ、祭りの中心からは外れた寂しい場所であるにもかかわらず、辺りには人だかりができていた。生きたマムシを瓶から出して道端に放して見せる場面がクライマックスで、危ないからこっちに下がってなさいと子ども達はおじさんの背後に集められるのだが、そこへ突然ゴム製のヘビのおもちゃを投げ込むのだ。ヘビに怯えてた子ども達は悲鳴をあげて逃げまどい、会場は爆笑の渦に包まれる。

それがあまりにも面白くて帰ってから親に話そうとしたのだが、はて、考えてみると何が面白かったのか分からない。よく考えてみても、おじさんはその薬がどれだけ効くかという話をしていただけだ。ヘビを投げつけれらたのは確かに面白かったのだが、如何に言葉巧みに誘導されたか、その前にどれだけ毒ヘビに恐怖を感じていたのか、投げつけられたヘビがおもちゃだと知った時の脱力感など、どう言葉を重ねてもうまく伝えることができない。冷静になってみるとあんなのにキャッキャ言ってた自分がバカみたいに思えてくる。結果「面白かった」というありきたりの感想しか言うことができなかった。

劇団どくんごの芝居は、例えるならあのおじさんのマムシの薬売りに似ている。

例えばそれは、銃を構えたスパイのような男女の二人組だったりする。二人は誰かに見られているという話をしているのだが、誰が見ているのか、二人は何に怯えているのか、なぜ銃を構えているのかなど、一切が謎に包まれている。不毛な会話が延々と繰り広げられ、やたら動きにキレがあるのは心地よいが、結局何一つ分からないまま話は終わる。なんだか面白かったのだが、何が面白かったのかよく分からない。

例えばそれは、桃太郎の話をしようとしているインチキ臭い外国人だったりする。外国人はお客に丁寧に説明しようと、柴刈りの柴の説明から始めるのだが、話は脱線してサッカーの話題になり、延々とサッカーの話を繰り広げてひょっとしてこのままサッカーで終わるのかと思わせておいたところで奇跡的に桃太郎の話に戻る。しかし結局、桃太郎は生まれないまま話は終わる。なんだか面白かったのだが、何が面白かったのかよく分からない。

例えばそれは、どこかの金持ちの奥様と奥様を心配する召使いだったりする。奥様は2日間寝てないらしい。同じ会話が何度もループし、結局何が言いたいのかよく分からないまま話は終わる。なんだか面白かったのだが、何が面白かったのかよく分からない。

終始こんな感じだ。意味のあるものなど何一つない。同じ会話が繰り返され、まったく繋がりの無い短編のお芝居のようなものが続いていく。後からよくよく考えると別に大したことをしてなかったように思える演目もあったのだが、どれもこれも可笑しくて格好良くて、とにかく圧倒されっぱなしだった。

一応文章を書く者として「面白かった」などという感想は恥である。劇評を書くなら何が面白かったのか、そこには何が隠されていたのか、自分はそれにどう影響を受けたのかを詳らかにし、読んだ人が行ってもないのにまるで観たかのような気持ちにさせる文を書かねばと思っているのだが、残念ながらそれは叶いそうにない。あの時、自分は確かに笑い、驚き、感動すらしていたのだが、あの高揚感は今ではもう思い出せない。あれはテントの劇場が見せた一時の夢だったのだろうか。いったい何が面白かったのか、それを確かめにきっと自分は来年もどくんごを観に行くのだろう。

音楽と演劇と妖怪が好き / 所属:あったかハートふれあい劇団、in.K. musical studio、劇団妖怪ぶるぶる絵巻 / ブログ→https://chiroboo6251.hatenablog.com/ / だいたいいつもさみしい。