小さい頃、母が小泉八雲の「怪談」の本を買ってきたときのことを今でも覚えている。怖いものが極端に嫌いだった私は、なんでそんなものを買ってくるのか、どうしてそれを良い本であると言うのかがわからなかった。

少し大きくなると「耳なし芳一」や「雪女」といったお話を読めるようになり、もう少し大きくなると、「怪談」が怖い本ではないことに気付いた。小泉八雲というのは、彼が日本国籍を取った後の名前で、元々はラフカディオ・ハーンという名前であることを知って驚いたのは高校生の頃だったろうか。外国人でありながら日本の怪談を書くなんて、どれだけ日本の文化を愛していたというのであろう。私はようやく、母が「怪談」を買ってきた理由を理解し、この風変わりな作家に興味を持ったものだ。

しかし、ラフカディオ・ハーンという人がどういう人物であったのか、私は芝居を観るまでほとんど知らなかった。

妻セツを愛し、人々を愛し、日本を愛したパトリック・ラフカディオ・ハーン。「ハーンが見た『熊本のこころ』」では、彼が熊本で過ごした日々が描かれている。そこでは、決して大きな事件が起こったり、人に大きな変化がもたらされたりするわけではない。ただ、ハーンが家族と暮らし、熊本の人々に触れ、話を聞き、セツと大切な時間を過ごす、そんな日常をただひたすら丁寧に紡いだ芝居だ。

ある時、それはハーンが熊本で迎えた正月の風景だった。
ある時、ハーンは戊辰戦争に巻き込まれた人の思い出話を聞いていた。
ある時、ハーンは近所の子ども達が元気に遊ぶのを眺めていた。
ある時、ハーンは戦争に行くのだという教え子を見送った。

そんな何気ない日々を、大切な人達と共に過ごすのだ。

豪快な祖父、面白い女中、かつての教え子、そして支えてくれる妻。登場する人物は誰もが優しい。その優しさの中で、ハーンは自分の進む道を決断する。

小泉八雲の「怪談」は、妻のセツから聞いた日本の民話・伝説を基にして書かれたものだ。また、セツ以外の家族・使用人・近隣住民、旅先で出会った人々などの話を題材にした作品も多いらしい。

昔、「怪談」を読んだときに感じた日本の文化に対する愛は、日本の人々に対する愛ではなかったのか。「怪談」から感じた優しさは、ハーンが触れた人々の優しさではなかったのか。かつて私が「怪談」から感じた温かさは、この芝居に出てきた人々の温かさと同種のものだったのである。

熊本でギター弾いたりお芝居したりしてます。 あったかハートふれあい劇団、in.K. Musical Studio、劇団妖怪ぶるぶる絵巻。だいたいいつもさみしい。