「まるでゴミのような芝居だな」

大帝ポペの『ふたりはぼっちで』を観た感想だ。

決して悪い意味ではない。ストーリー、演出、演技、舞台装置、その他ステージ上に存在するあらゆるものに異様な存在感が宿っており、それぞれが強烈に自己主張をしていた。その結果、まるでゴミ屋敷にでも迷い込んだような印象を受けるのである。

そもそも、舞台装置がゴミの塊。ステージを取り囲むように積まれているのは家庭ゴミの山。個人宅から運び込んだものらしく、使えそうなものも多くあったようなので、“ゴミ”と呼ぶのは正確ではないかもしれない。とにかく膨大なガラクタで構成されたステージに、芝居が始まる前から圧倒されてしまった。

『ふたりはぼっちで』は二人芝居だ。井上ゴム氏扮する中年の男と、はまもとゆうか氏扮する若い女。二人は同居しているらしい。

男と女の関係性は不明だ。仲が悪いようでもあり、割と距離が近いようでもある。二人の関係は明かされないまま物語は進んでいく。とても気になるのだが、やがてそんな些細なことはどうでもよくなる。とにかく話が目まぐるしく展開していく。日常を描いているのかと思えばミステリ風になり、コメディかと思っていたらホラーっぽくなる。まるで「ついて来れるかな?」と挑戦しているような膨大な台詞の量と密度。野田MAPの芝居は情報量が極めて多いことで有名であるが、それと似たような印象を受けた。

井上ゴム氏とはまもとゆうか氏の演技の熱量がまた凄まじい。狂ってるのかと疑いたくなるキャラクターに、どこからその感情を引っ張り出してきたのだと言いたくなるような演技。普通だったら舞台をぶち壊してしまいそうだが、不思議と成り立ってしまう。これを2時間ぶっ通し続けるのだから恐ろしい。怪優と言っていいだろう。化け物系の役者は一つの作品に一人いれば十分だと思うのだが……そんな気遣いなど無用の濃い芝居は続いていく。

後半に二人の関係性は明かされ、それは実はストーリー上とても重要だったりするのだが、その頃には作品のパワーに押しつぶされ、「そんなのどうでもいいよ」などと思っていた。

終盤、それでもなんとか綺麗にまとまりかけていた芝居がまた大きく狂っていくのだが、とっくに脳の容量はオーバーし、もう説明もしたくない。とにかく、『ふたりはぼっちで』は圧倒的な物量と熱量で構成された芝居であった。

この作品に果たして一貫したテーマはあったのか? あるとするのなら、それはやはり「孤独」だろうか。男女はそれぞれ深い孤独を抱えていた。誰からも求められることはなく、誰かを必要とすることもできない。何も出来ず、ただ震えてるだけ。

映画や芝居のテクニックでよく使われるものの一つに、“貧乏”を表現する際は部屋に物を溢れさせるというのがある。逆に“金持ち”を表現するなら物を極力減らし、部屋をスッキリさせる。貧しいからこそ、飢えているからこそ、人はその空洞を埋めようと何かを追い求め、結果、色々な物で溢れかえっていくのだ。

『ふたりはぼっちで』の芝居には怒り、悲しみ、葛藤、和解、思い出……あらゆる物が溢れかえり、高く積みあがってゴミの山を形成していた。それは、孤独を埋めようと二人が必死に足掻いた成れの果てではなかったかのか。

熊本でギター弾いたりお芝居したりしてます。 あったかハートふれあい劇団、in.K. Musical Studio、劇団妖怪ぶるぶる絵巻。だいたいいつもさみしい。