この作品は観る前からとても楽しみにしていた。脚本の川津羊太郎氏と演出の井上ゴム氏、どちらも個性的な表現者である。だが、作品の方向性はまったく異なる。例えるなら、ゴム氏は動的な狂気を得意とするタイプだ。爆発力があり、その感性は暴力的で観る者にストレートに訴えかけてくる。対して川津氏の得意とするのは静的な狂気と言えるだろうか。最初はそれに気付かない。だが、じわりじわりと後ろから忍び寄ってきて、気付いた時には取り込まれて抜け出すことができなくなっているのだ。この正反対の2人がタッグを組んで作品を作るという。果たしてどうなるのだろうか。

結論から言えば、どうもなっていなかった。2人をそのまま足して、2で割らない作品に仕上がっていた。観てると「あー、ここはゴムさんの表現だなー」「お、川津さんのターンがやってきた!」「と思ったらまたゴムさんが出てきたぞ!!」と分かるのだ。作品は、“境界で揺れる人”の話だったのだが、私には土俵際で廻しを取り合うゴム氏と川津氏の姿が見えていた。手に汗握る、なかなかの熱戦だったのではないか。二人の作品を観たことが無い人には分からない話だろうが、自分だけ変なところで楽しませてもらった。

物語の舞台は一軒のバー。出てくるのは店で働く女と、常連客らしい男が二人。あと、たまに出てくる謎の男。最初はちょっと変わったコメディーかなくらいしか思わない。でも次第に不条理劇の様を呈し、最終的にはホラーになっているのだ。

面白いのはホラーの手法。「言葉」「行動」「仕掛け」と、少なくとも3種類のテクニックを使って恐怖を演出していた。

「言葉」は物語のことだ。これは川津氏の領域であろう。何か超自然的なことが起こる訳でもない普通の会話劇で、これだけの恐怖を煽れるのはさすがである。

「仕掛け」は演出のゴム氏が手掛けたと思われる分野だ。時おり出てきて観る者を惑わせる男や、雑音と共に揺らぐ登場人物たちなど、大いに不安にさせてくれた。

「行動」は額に黒子を描いた不可解な場面などだ。今作で私が一番好きだったシーンで、心の中で喝采を送っていた。正直に言うと、これだけはどちらの手によるものか分からなかった。ひょっとすると二人の共同作業だったかもしれない。

物語がテーマにしていた「境界で揺らぐ人」は、よくよく考えてみると、背中に氷を入れられるくらいにぞっとする話だ。落ちるのか、止まるのか、揺らぐ人。人間か、人形か、揺らぐ人。自分はいつでも自分ではないものに成り得る。そんなことある訳が無いと一笑に付すのは簡単だが、自分が自分である理由など誰も知らない。ある日突然、心臓が勝手に動かなくならないとも限らない。ある日突然、体が脳の信号を無視しださないとも限らない。ある日突然、体を構成しているタンパク質などが、その働きを変えて違う物質にならないとも限らない。自分が自分であることを疑わしくなったら、もう作品の術中に嵌ってしまったということなのだろう。完敗である。2人にはこれからも狂った世界を作り続けてもらいたい。

音楽と演劇と妖怪が好き / 所属:あったかハートふれあい劇団、in.K. musical studio、劇団妖怪ぶるぶる絵巻 / ブログ→https://chiroboo6251.hatenablog.com/ / だいたいいつもさみしい。